お嬢のブログ

エッセイのような何かです

近場の回顧録〜2〜

私は「恋愛」という言葉にひどく無頓着な人間だった。

子どもの頃に形成される自己愛は、親からの「愛し方が分からないから、どう愛せばいいか分からない」のひと言でうまく育たなかったし、人を好きになるのにそんな言葉が必要とも思っていなかったからだ。

あとは思春期の早い女の子達のよくある恋愛話やトラブルに巻き込まれることもなかったから、というのもあるかもしれない。それくらい、私から見て周りの子もそこまで恋愛にこだわる子どもはいなかった。

しかし、私はトラブルに巻き込まれやすい人間で、ある頃からありもしないことで吊し上げられ、学校の先生に怒られた時期がある。一度くらいなら間違いだと主張できるかもしれないが、短い間隔で頻繁に起こるとその主張すらも諦めた。ただただ謝るのみである。

かといって、何かしら輪から追い出されることもなく、ぎりぎりの位置でうまく飼われていたように思う。そんな子ども時代だったから、途中から学校には通っていない。かわりに通った施設もまた、似たような人間トラブルに巻き込まれ、人と深く付き合っても仕方ないという気持ちが生まれるのにそんなに時間はかからなかった。

いわゆる昔の子どもと違うのは、スマートフォンや携帯(ガラパゴスケータイ)を所持しているかどうかだろう。私は大学生になるまで所持を認められなかったので、それも周囲から浮く原因になった。

結果として、私は人と関わるのがひどく下手になった。元来あったはずの社交性も、その頃には身を潜めていた。

 

そういったことの積み重ねで、「初恋」は今である。告白というものなのか分からないが、「付き合って」の言葉だけならあったように思う。しかし、「付き合う」という言葉がイコールで「恋人」あるいはそれに近い関係になる発想は生まれなかった。

おかげで、二十代を迎えて落ち着いた今になって降ってきたこの感情にとても戸惑った。私からすれば流れるように「恋人」となったが、彼からしたら告白をしたと言われた。あまり覚えていない。それは恐らくあまりにも現実味がなく、この人と付き合うのかということで頭がいっぱいだったと記憶している。

それほど、私にとっては経験したことないことであったし、どうしていいか分からないことでもあった。異性をそういう目線で見たこともなかったからだ。私にとって異性とは兄弟の兄であり、クラスメイトや学校などで見る異性は異性というより「人」だった。性別を感じたことは特になかった。

 

彼とゲームのサーバー内で親しくなり、DMでやり取りするようになっても、私はずっとただの優しい人という印象のままだった。どんな人とも分け隔てなく接する態度や、年上の人からも頼られる姿に何となく尊敬した気持ちで見ていた。実は彼は私より歳がひとつ、下なのだ。人を見るのに年齢で見たことはあまりなかったが、そういうところを加えたとしても素直に尊敬できる人だと感じていた。

そんな彼から「会う」という話が出てきた時は、自然と会いに行くイメージをしていたし、会う手段を調べてもいた。しかし、いまいち踏ん切りがつかず、ひと月が経つ頃にある出来事が起きた。

今までもよくあったが、私の家族は私のことに対する理解しようとする気持ちがほぼ感じられない。病気で悩んでいた時も二言目には「働かないのか」であったし、病気については「理解したくない」で終わっていた。そんなことは日常茶飯事であったから、大したことはないと思っていたがその日は積もりに積もった言葉に押しつぶされてしまっていた。職場で感情が抑えきれず早退し、どうして良いか分からない私に彼は改めて提案してくれた。

そうして、私も彼も休みが重なる日に私達は会った。特段何かを話し込んだわけではなかったが、一緒に居てどきどきしていた。顔はちゃんと見れていない。ボイスチャットでの印象と大きく異なることもなく、その日は終始どきどきしたまま帰路に着いた。次に会ったのは、次の週末。

私は想像以上に彼に惹かれていた。

人を、誰かに強く惹かれることに前ぶれなどないのだと今なら思う。